何があったわけでもありませんが、アスレティックトレーナーという仕事を振り返ってみます。
十数年ずっと自分なりに取り組んできた経験をシェアできればと思います。
半分は自分自身の頭の整理に、半分はブログを見てくれた方にとって何らかの参考になれば幸いです。
なので、珍しく敬語でブログを書きます。
私は専門学校を卒業しから3年間ぐらいは、アスレティックトレーナーを仕事にしたいという一心で、猛烈に勉強して貪欲に経験値を積んでいました。
「立ち止まったらヤラれる!後ろを振り返ることはできない!ただ突っ走るのだぁぁぁ!」って感じでした。
5年目ぐらいになると、小さな自信みたいなものが芽生えました。
医科学、生理学、栄養学などを勉強し、そこそこ経験値を得てきたころです。
今考えると貪欲に勉強や経験をしているが故に、狭い世界の考え方に入ったところと言えます。
人間の体についてある程度、把握したかのような感覚になり、「こうやれば治って、こういうことするからケガすんだよ!前にも見てるから知ってるよ」
ってな感覚ですね。
総合病院には人間を総合的に診察するために、外科、内科、耳鼻科、皮膚科、眼科、産婦人科など、30を超える診療科目があります。また、30以上の診療科目があっても、診断名のつかない患者さんは大勢いらっしゃいます。
私がアスレティックトレーナーとして勉強してきた部分は、そのうちのごくごく一部分なのですが、一生懸命勉強していると目の前が「すべての世界」のように見えてしまうのです。
ちなみに30を超える診療科目は学問的に分類するから分かれるだけであって、人間の身体は1つでつながっています。
当たり前ですが、この事実に気が付くのは、だいぶ時間がかかりました。
「宮本はアホか?」っと思われるかもしれませんが、落とし穴は意外なところにあるものです。
もちろん、身体が一つであることは理解しています。
しかし、身体について学ぶときには、学びやすいように解剖学や生理学、栄養学や心理学などに分かれます。
これによって、身体の見方が一面的になってしまうのです。
例えば、、、、、
足関節捻挫の復帰が遅くなっているとき、整形外科的なリハビリに注目しがちですが、栄養バランスの乱れが一因かもしれません。
また、血液データの数値が一向に改善しないとき、食事管理に注目しがちですが、心理的不安定が一因かもしれません。
もちろん、さまざまな原因が複雑に関連していることも多々あります。
一番、警戒しなくてはいけないのは、「わかったような気になる」ということでした。
わかったような気になることは、他の可能性を無意識に排除するという、とても残念な現象を引き起こしてしまいます。
ニュートンは素晴らしい言葉を残しています。
「私は砂浜で遊んでいる子供のようである。私はときどき美しい石ころや貝殻を見つけて喜んでいるけど、大海は私の前に未だ探検されることはなく広がっている」
万有引力や微分積分法を発見した偉人でさえも、自分の功績は砂浜にある貝殻に過ぎないと言っているのです。まだ、海にも入らずに砂浜で貝殻を拾った程度だと。
これ以降、自分のやっていることは、砂漠に落ちた米粒ぐらいの規模であるという自覚を持つようになりました。
誇りを捨てたわけではありません。全体像を視野に入れただけです。
そこからさらに5年ほどが経過し、現在に至っております。
今の私は、「身体を治せるのは本人だけ」というスタンスです。
あくまで個人的な見解です。
人が人を治すことはできないので、アスレティックトレーナーは選手が自然治癒力を発揮しやすいよう、サポートしているという考え方です。
医師が行う手術なども同様に考えています。
手術は患部に対して直接的刺激を入れていますが、その後に治るかどうかは選手の自然治癒力次第だと考えています。
サポートする専門家は競技者の自律的行動を中心に、その能力を発揮しやすいようにサポートするというスタンスです。
先ほど、人間を総合的に診察するために、30を超える診療科目があると説明しました。
人をサポートする場合では、すべての分野が同列ではありません。
人と人が接する場合、すべては「心」からはじまります。
私の今後の取り組みは、この分野です。
っとこの辺で疲れたので、やめます。また書きます・・・たぶん。
思いのままに見直しもなく書きましたので、話が蛇行してそうですがご容赦ください。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。